「いっしょにつくる」とは? 現代社会とコ・デザインの可能性

第2回 事例で見る、コ・デザインの体験とは?

デザインの民主化、「つくる」と「つかう」を分断しない、学習共同体…。コ・デザインの輪郭がだんだんとつかめてきたのではないでしょうか。では、実際にコ・デザインのアプローチを取り入れるとどんなことが起きるのか、具体的な事例から探ります。

“ともにつくる機会”が関わる人の価値観を変える
WIT

コ・デザインの考え方でものづくりに取り組むと、どんなことが起きるのでしょうか?

上平

教育の場での事例をご紹介しましょう。ひとつは、私たちが行っている2年生のデザイン演習」の課題で、子どもたちと一緒に「親子で学べるカガクおもちゃ」をつくるというものです。遊ぶなかで科学の理(ことわり)を経験的に理解していくプロダクトをカガクおもちゃと名付けました。 川崎市の生田緑地の中にあるサイエンスミュージアムにバックアップしてもらいつつ、小学校1〜2年生の児童と、大学生が一緒になって開発していくのですが、まずは大学生がプロトタイプを持ちこんで、子どもたちに遊んでもらうんですね。ところが、子どもは手順が決められたものをその通りに使うのは基本的に好きではないんです。

WIT

想定と違う使い方をするわけですね。

上平

そうなんです。決まった手順(モード)がないからこそ、「おもちゃ」なんです。大人が子ども向けのものをつくる場合、ついつい配慮が多めになってしまい、「まずああして、つぎにこうして」と先に遊び方を決めてしまいがちです。そうやって一緒に遊んで関係を深めつつ、自分たちの想定を壊されながら、子どもたちが自分で試行錯誤する余地のあるおもちゃをデザインしていきます。分かってからやるのではなく、やりながらわかっていくのがカガクおもちゃの特徴で、実際に子どもたちは遊びながらなぜそんな現象が起こるのかに気づいてくれるんですね。

WIT

なるほど。具体的にはどんなおもちゃがあったのですか?

上平

例えば、2017年度のあるチームの成果物ですが、なかなか面白いものがあります。「Sound Magic(サウンドマジック)」という、薄い膜の上に乗っている細かい砂の粒を自分の声で振動させて模様をつくるものです。
「グラドニ図形」というのですが、声の高低によって振動が変り、不思議な幾何学パターンを出現させます。大学生たちは最初「子どもたち、できるのかなぁ」と心配していたのですが、子どもたちのほうが大きな声も高い声も出せるので、はるかに上手に操ったというオチが付きました。最初はよくわからなくても、声がダイレクトに可視化される様子がとても面白いので、遊んでいるうちになんとなくどんな声の高さでどんなパターンが生まれるのかがわかってきます。
屋外で大きな声を出すと当然周囲に伝わるので、こどもたちは面白い言葉を喋ろうとして周りを笑わせていましたね。こういった感じで、カガクおもちゃは子どもたちの力あってこそデザインを深めていけるテーマになっています。

WIT

面白そうですね。

上平

小学校の低学年だけでなく、過去には高学年とコラボすることもやっていました。例えば、豊かな生態系を持つ生田緑地をまるごと自然のミュージアムとしてとらえ、植生を学べる「植物知恵袋」があります。こちら課外授業的な少しアカデミックな体験ができるおもちゃです。

WIT

そうやって、ものをつくるプロセスを体験すること自体が演習の目的なのですか?

上平

そうですね。実は以前はもっとUXデザイン的なプロセスを取っていたんです。子どもたちをユーザーとして捉え、好みを調べ、仮説を立ててつくったものを使ってもらい、反応を見て改善して…という形ですね。でも、それは製品開発のプロセスですよね。学びにも有効とは限りません。そこで5年ほど前から、大学生だけで全部つくってしまうのではなくて、子どもたちにも積極的にデザインプロセスに加わってもらうような言い方に切りかえたんです。

WIT

そうなんですか。変えたことでどんな影響があったのでしょうか?

上平

結果的にアウトプットがすごく変わったわけではないのですが、明らかに子どもたちはやる気をだすようになりましたし、成果発表の展示会を見に来るようになりましたね。消費者でなく、自分自身がこのカガクおもちゃをつくり変えていくことに関与した、クリエイターとして参加したという経験に変わったんだと思います。そういったパワーを持てたことは、子どもたちのその後の人生において計り知れない影響があると思います。
大学生の方も、つくったものを介して子どもたちが目の前で喜んだり、感謝してくれる経験はものづくりの原初的な喜びになっています。成果物の品質というよりも、出会いの機会を設け、それを通してお互いが刺激をうけて変わっていくことが一番大きい気がしますね。起こる経験を目的とするならば、アウトプット以外にも目を向けることが大事です。完璧なもの、最適解を提供すれば相手が喜ぶとつい思いがちですが、意外と違うところに答えがあるのかもしれません。

WIT

それは企業がものをつくる上でも考えたいポイントですね。

関わる人たちの「間」に生まれるもの
上平

もう一つは、同僚の栗芝正臣准教授が2019年に行ったプロジェクトで、病院で使うリハビリツールを関係する人たちと一緒に開発するというものです。リハビリは患者さんにとってとても苦痛だそうで、なかなか本気になって継続することは難しいようです。その課題に挑戦することがテーマでした。例えばこの「つか麺」というツールがあります。

WIT

この動画(1:27~1:35)にあるものですね。

上平

はい。学生たちが病院を訪問して、ある患者さんに話を聞いたそうなんですね。脳梗塞の後遺症で手にマヒが残っている方です。昔からラーメンが大好きで元気になってまた食べに行きたい、けれど力が入らなくて箸を持てない。そんな思いを抱えておられることが分かりました。学生たちはその人のために、重りのついた紐を“麺”に見立て、ラーメンどんぶりから箸で持ち上げて指先の訓練をするリハビリツールをデザインしたんです。
なんだか感動しませんか?こういう目標をかきたてるストーリーがあってこそ、人は頑張れるものですよね。それを一緒に探り当ててつくっていくのは、デザインの本来あるべき姿のように思います。

WIT

思いがこもっているのを感じますね。これはどんなに会議をしてもネットで調べてもダメで、目の前にその人がいないと出てこないものだと思います。

上平

そうなんです。この「つか麺」は、その後の病院でも理学療法士さんがカスタマイズしながら使ってくださっているのですが、これは患者さんだけでも、理学療法士だけでも、デザイナーだけでもできない、ちょうど「間」に生まれたものなんです。そこにコラボレーションの醍醐味があるんですよ。洗練された造形を追求する仕事とは全く方向性は違いますが、デザインの意味を確かに感じられるのではないでしょうか。
先ほどの科学キットもそうですね、子どもたちだけでも、学芸員だけでも学生だけでもつくれません。力を合わせないと見えてこない。逆にそこでつくられる「モノ」こそが境界をつなぐ。それが大きなポイントになると思います。

WIT

「製品」と考えてしまうとスケールしづらいですが、この場合はそれを考える必要はないわけですよね。目の前のこの人のための正解があればいい、という。

上平

はい、ビジネスにそのまま繋がるものではないと思います。ただ、マインド的には本来、多様な人に対して既製品で済ませない、というケースを理解するきっかけにはなるかもしれません。

デザインは完成してから与えるものではなく、人々の「間」に生まれるもの。誰かの問題を共有できるようにつないでいくことで、新しい可能性が見えてくるようです。次回は、社会やビジネスの課題に対してはどんな可能性が考えられるのかに迫ります。

上平崇仁(かみひらたかひと)さん
専修大学ネットワーク情報学部教授
筑波大学大学院芸術研究科デザイン専攻修了後、グラフィックデザイナー、東京工芸大学芸術学部助手を経て、2000年より情報デザインの研究・教育に取り組む。著書に『コ・デザイン デザインすることをみんなの手に』(2020年12月/NTT出版)。