デザインは完成してから与えるものではなく、人々の「間」に生まれるもの。誰かの問題を共有できるようにつないでいくことで、新しい可能性が見えてくるようです。では、社会やビジネスの課題に対してはどんな可能性が考えられるでしょうか。
「厄介な問題」の中で、ポジティブな可能性を描くために
上平先生は著書の中で、コ・デザインは「複雑な問題」「厄介な問題」(*)へのアプローチとしてコ・デザインの可能性を指摘していらっしゃいました。現在、私たちの目の前にある「厄介な問題」として新型コロナウイルスの流行を取り上げるとしたら、どんなアプローチが可能でしょうか?
コロナはまさしく「厄介」ですね。究極の選択が続くようで、本当に答えがありません。ただ、有無を言わさず人間が理不尽な目にあわされるのは歴史上いくらでもあったことです。そんな中でも私たちは生きるために、楽しみを見出していかなくてはならない。たとえどうしようもない状況だとしても、どこかにポジティブな可能性は描けるのではないかと、僕自身はいつも強く意識するようにしています。
例えば、今ではリモートワークが当たり前になりましたが、家にこもるのは精神衛生上つらい人も多い。私もそうです。あちこちに遮音できる仕事用ブースができていますが、それが動かせたら・・・という想像もできますよね。そうすると、この先、大きな公園や森の中に出勤するようなスタイルもあり得るかもしれません。
それは楽しそうですね!
そんな話をして「いいね、やろうよ」と盛り上がったり、実際に試してみたりできるのは、それを面白がってくれる仲間がいるからですよね。わざわざコ・デザインと言う必要はありませんが、身近な人といっしょに何かに取り組むことは、喜びを分かち合う方法にもなります。
なるほど、ポジティブな可能性はそこにあるわけですか。いきなり「コロナ禍」のような大きすぎる問題を解決しようとしなくていいんですね。
そう思います。世の中「問題解決」に毒されすぎだと思います。何かが完全に解決するということはなくて、解決したように見えてもまた別の問題が起きてくるものなんです。例えばスマホはいろいろな問題を解決したイノベーションと言えますが、同時にまた別の問題を生んでもいますよね。
絶えず何らかの問題は起きていて、その中でどうやっていくか考えることがデザインに対する姿勢、ということでしょうか?
私たちはすべて自分で決めているわけではなく、想像以上に周囲から影響を受けながら生きていますからね。そこにどんな力関係が働いているかについてはもっと自覚的になる必要があるでしょう。そして、そんな見えにくいものごとに視線を重ね合わせることが私たちを仲間にしていくと思います。コロナ禍を抜きにしても、現代はその機会が減っていることが私の一番の危機感です。
*「複雑な問題」「厄介な問題」 社会学で使われる用語。「複雑な問題」は解決すべき課題や解決方法が複雑で、試行錯誤に時間がかかる問題のこと。「厄介な問題」はそもそも何が問題かを定義できず、人によって枠組みが異なり、正解が存在しない問題のこと。
コ・デザインはデザイナーの意識改革でもある
ビジネスの文脈で考えるとしたら、コ・デザインにはどんな可能性が考えられるでしょうか?
最近、プログラムが書けなくてもウェブサービスやアプリを開発できる「ノーコード開発ツール」が急速に進化しています。例えば図書館とか市役所などで、そこで働く現場の人たちが自分たちにとって必要なサービスを内製できるようになる、ということです。もちろん、ノーコードとはいえ初心者がいきなり作るのは難しいので、プロの力は必要です。そこで伴走するパートナーとして入るというのは考えられるのではないでしょうか。
逆に、プロの開発者やデザイナーがクライアントの課題に取り組み、利用するコンテクストを抽出するのにとても苦労していますよね。それは現場には当たり前にあって、働いている人はよく知っていたりするんです。
そうですね、開発者もいろいろな形で努力を重ねていますが、そこへすぐたどり着くのは難しいのが現実です。
そこは、企業主導で開発することの弱点と言えるかもしれません。「つくるひと」「つかうひと」の関係で話をすると、お互い人間なのですからズレは必ず生まれます。ではそのズレは果たしてどうすればいいのかという問題がでますよね。
確かに、企業側はどうしても先に”絵”を描いて、それが正しいかどうか検証しようとしますけど、どれだけ調査しても汲み取れていない可能性は残るわけですね。
顧客となっている側もそれを自覚していないのだと思います。見渡せばちょっとした不便や困りごとがたくさんあるのに、「そういうものだ」と思って現状を受け入れてしまう。ぜんぶ発注先のせいにして、本当は自分たちで変えられることにも取り組まない。コ・デザインの本を書いたのには、そういった人たちをエンパワーしたいという思いもありました。
同時に、「デザインの力を人々にも移譲する」というデザイナーにとっての意識改革でもあります。ただ、これはデザイン業界で働く人にとっては、ちょっと受け入れがたいことでもあると思います。
コ・デザインがデザイナーの仕事を減らしかねない、ということですか?
そうですね、依頼が減ることを心配する人もいるでしょうし、仕事が複雑になったり、品質が下がったりするのは許せないという見方もあるでしょう。
でも逆に、みんなが参加することで本当に必要なもののかたちが明らかになり、そこで改めてデザイナーの力が必要とされることも考えられますよね。
そうなんです。自分で作ってみる経験によって、普段あたりまえにつかっているアプリがいかに気づかないところまで工夫されているか、プロの仕事の価値に改めて気づくはずです。そういうふうに双方が関わることによって、ものごとに対する解像度を上げていこうという提言でもあります。
コ・デザインは、日々直面するいろいろな問題から仕事のあり方についてまで、新たな視点で考えるきっかけを与えてくれそうです。では、具体的に今の私たちにできることはあるのでしょうか? 次回は、改めてコ・デザインと私たちとの関係を問い直します。
上平崇仁(かみひらたかひと)さん
専修大学ネットワーク情報学部教授
筑波大学大学院芸術研究科デザイン専攻修了後、グラフィックデザイナー、東京工芸大学芸術学部助手を経て、2000年より情報デザインの研究・教育に取り組む。著書に『コ・デザイン デザインすることをみんなの手に』(2020年12月/NTT出版)。