「いっしょにつくる」とは? 現代社会とコ・デザインの可能性

第4回「いっしょにつくる」社会のために

コ・デザインは、日々直面するいろいろな問題から仕事のあり方についてまで、新たな視点で考えるきっかけを与えてくれそうです。では、具体的に今の私たちにできることはあるのでしょうか? 改めて、デザインと私たちとの関係を問い直します。

心地よくない場所へ踏み出してみる
WIT

コ・デザインについて色々お話をうかがってきましたが、もし自分で実践してみたいと思ったら、何から始めればいいでしょうか?

上平

そうですね、まずは業務以外のことにもうちょっと力を振り分けてみてはいかがでしょうか。何か自主プロジェクトでもいいと思いますし、例えば小物や服を繕ってみる、みたいな小さなことでもいいと思うんです。
みなさん仕事が大変で”生活”をしていないのではないでしょうか。そのせいで意外と忘れがちですが、実はいろいろなものがつながっているんです。

WIT

耳が痛いです…。確かに、シャツ1枚でも商品企画・素材の生産・縫製・流通・ハギレの行方まで、つながる事柄は多いですし、それが自分にどう作用しているかまで考えると果てしないですね。

上平

そうなんです。それから、先にもお話ししたようにコ・デザインは社会に参加することによって学習していくことでもあります。例えば書籍の中でも触れた薬剤師の体験会の例では、参加者は薬剤師の日頃の業務を体験することで、なぜ薬をもらうまでに時間がかかるのかを理解することができます。
薬剤師が裏で何を知しているのか見えないから、待つことにイライラするわけですよね。自分の知っている場所、心地よい場所にいるばかりでは、なかなかそこには気付けません。知らないことを経験してみることが大切だと思います。

WIT

新しい刺激を受けるというのは、自分にとって心地よくないことだったりするんですね。知らないとできないし、恥ずかしい思いもします。

上平

そういった経験から、クリエイティビティが生まれるんですね。便利すぎる環境にいると、何とかしようと感覚を働かせる必要もなくなってしまいます。

WIT

便利さをこのまま追求し続ける世界は、なんだか怖い気がします。

上平

製品やサービスを「人間中心」として設計するセオリーが今の主流になっていますね。もともとは技術が主導することに対して人間性を回復しようとする思想だったと思いますが、それが当たり前になってしまうと事業のエコシステムに含まれない―例えば他の生き物たち―は、いつのまにか眼中に入らなくなってしまいます。それらが積もり積もって地球環境が危なくなっていることを考えれば、近代的な価値観の上に成り立ってきたデザインそのものを問い直さなくてはいけない時代になってきているように思います。

コ・デザインが人のつながりを強くする
WIT

デザインそのものを問い直す…というのは問題が巨大ですね。何かを変えようにも企業はなかなか動きにくいものです。ひとりから始めるならどんな方法があるでしょうか?

上平

頼まれていないことを、あえて自分からやってみる、ということでしょうか。コミュニティでも職場でも、なかなか手をつけられず、誰も言い出さないことってありませんか?

WIT

あぁ、ありますね、気になってはいるものの放置されているアレコレが…

上平

そういう部分に、自分から「GIVE」してみることは何かが起きるきっかけになると思うんですよ。

WIT

本にもあった「GIVE」と「GET」の関係ですね。金銭的な損得にもとづく約束事としての「GET(自分のものにすること)」と、それでは測れない「GIVE(分け与えること)」がある。「利益を得る行動=GET」が正当化され優先される世の中ですが、「GIVE」すること(=利他性)が人の関係を生み出す原動力になっている。そんなお話でしたね。

上平

そうです。コミュニティでも職場でも、何か変えたいと思ったら先に自分が動かしてみることがポイントになるのではないでしょうか。

WIT

なるほど、誰かの「GIVE」に対して周囲も「GIVE」で応じるようになれば、ゆくゆくは仕事にも変化が起きるかもしれません。

上平

仕事のパートナーを選ぶ際も、スキルだけでは決めませんよね。一緒に働きたいと思えるかどうかで考えると、「GET」のものさしが強すぎる人に対してはなかなかそう思えないものです。

WIT

コ・デザインを通して生き方を見つめ直すことになりそうです…

上平

多分、わざわざコ・デザインと言わなくても、それは人間社会の根源的なものだと思います。そういうふうにできているんですよ、私たちの心は。お互いに力の貸し借りをして、困ったときにはお互い様と言い合ってきたのですから。逆にそういう人しか生き残ってこれなかったわけですから。

WIT

それに抗うのではなく、乗った方がうまくいくということですか?

上平

私はそう思います。7万5000年前にスマトラ島のトバ火山が大爆発をして、地球の寒冷化が進み、人類の傍系の種は多くが絶滅しました。現生人類も世界で1万人くらいまで人口を減らしたと言われています。その時に生死を分けたのは、何かを独り占めするのではなく、分かち合ったから。そんな説がありますが、深く頷かされます。その子孫である私たちの行動は、そうした方が結果的に生き延びる可能性が上がることを、心のどこかで覚えているのではないでしょうか。今のコロナ禍にも示唆的ですよね。
ただ、先ほども言ったように現代社会はつながっているように見えて、個人で完結することが増え、分かち合いが生まれる機会は減っています。私はそこに危機があると思っています。

WIT

人類はより豊かで便利な暮らしを求めてきたはずですけど、そう考えるとあまり自分達の生存に適さない社会を作ってしまったのでしょうか。

上平

そうかもしれませんね。だからこそ、「デザインする」という機会を設けることで力の貸し借りが行われる場にしたい、他者とともに生きる可能性を高めたい、というのが私の主張です。

WIT

なるほど。急に「助け合いましょう」と言われても戸惑いますが、「いっしょにつくりましょう」だったら自分にもできることがありそうな気がします。 ありがとうございました。

今回は、デザインの話をお聞きするつもりが、人類の何万年にも及ぶ協働の歴史から自分がどんな態度で仕事・生活に臨むべきかまで、振り返れば広く視点を揺さぶられる体験になっていました。人が行ってきた「デザイン」という行為が内包する深い意味に触れることは、これから向き合うものづくりに何か気付きを与えてくれるかもしれません。気になった方はぜひ書籍を手に取ってみてはいかがでしょうか。

上平崇仁(かみひらたかひと)さん
専修大学ネットワーク情報学部教授
筑波大学大学院芸術研究科デザイン専攻修了後、グラフィックデザイナー、東京工芸大学芸術学部助手を経て、2000年より情報デザインの研究・教育に取り組む。著書に『コ・デザイン デザインすることをみんなの手に』(2020年12月/NTT出版)。