文具メーカーのコクヨが開発したIoT文具「しゅくだいやる気ペン」。構想当初は「見守りツール」として検討していたものの、ニーズがないと分かり、大きな方向転換を迫られる。その際の葛藤と、新たな光に気が付いたきっかけを開発リーダーである中井信彦さんに聞いた。
「幸せな顧客は誰か?」の問いに、ベクトルが逆だったと気づく
栃尾:
前回は、1年がかりの構想が挫折したところまでお伺いしました。ただ、そこまで作ったコンセプトや企画をゼロにするのは、なかなか決断できないのではないでしょうか。
中井:
見た目上は企画書が成り立っていたので、もしかしたら社内的には進められたかもしれません。でも、我々文具メーカーは一度販売したら数年は商品を売り続けることになります。このまま無理やり押し進めたら後できっと後悔することになると思いました。
栃尾:
葛藤はなかったのですか?
中井:
葛藤はすごくありました。やり直すということは製品化が遅れることになるので、何よりも「初!!」という看板が崩れることになるかもしれません。
栃尾:
でも、決断したわけですね。
中井:
とはいえ、すべてを白紙にするわけではなかったんです。「子ども」ということと、「書くことが好きになる」という方向性はあきらめきれなれなかった。
栃尾:
それを生かして次のコンセプトを考えたのですか。
中井:
そこの部分は引き継ごうと考えていました。そんな中、とあるセミナーに参加したときに「幸せな顧客は誰?」という問いに出会ったんです。それまでは「このペンを使う人は誰?」しか考えていなかったので、目から鱗が落ちたのを覚えています。まさにポロっともやもやしたものが落ちて、一気に視界が開けたという感じでしたね。
栃尾:
そこで考え方が大きく変わったんですね。
中井:
そこから、幸せになる瞬間を作り出すための製品を考え始めました。どうすれば幸せにできるのかを考え尽くす日々が始動したのです。
「やらなきゃ」から「やりたい」になれば幸せになれる
栃尾:
見守られる子どもに幸せは増えない、という考え方でしょうか?
中井:
そうです。使う人は子どもなのに、親が便利になるための監視ツールを考えていたんです。もっと子どもの気持ちに近いところから考えようとしました。
栃尾:
宿題をやる子どもがもっと幸せになるために、ということですね。
中井:
子どもだけでなく、親もです。これまで「やらなきゃ」と思っていたことが「やりたい」に変われば親子の幸せにつながるのではないかと考えました。
栃尾:
それだけで、現在の製品にかなり近づきますね。
中井:
まずは、子どもたちに使ってもらいました MVP(Minimum Viable Product)という最小限のテスト製品で、ペンが光るだけのもの。書く量とも連動しないのですが、宿題をした後に、アプリで穴掘りロボットが動くだけで子どもが笑顔になったんです。
栃尾:
ああ、それは嬉しい瞬間ですね。
中井:
「宿題をやって子どもが笑顔になることなんてあるんだ!」と驚きました。
UXデザインの手法でユーザーテストを繰り返す
栃尾:
その後は順調に進んで行ったのですか?
中井:
そのあとは体系的に、UXデザインの手法をとっていきました。具体的にはユーザーテストによる仮説検証の繰り返しです。
栃尾:
それまでは手が付けられていなかった部分ですね。
中井:
後手後手になっていましたね。ヤコブ・ニールセンという人が、ユーザーテストを5人やれば問題の85%は発見できる、と言っています。だから後回しにせず、サンプル数が少なくても早めにやっておけばよかったんです。ちょっと構えていたところはありますね。準備万端でテストするのではなく、生煮えの状態から仮説をぶつけてみるべきだったのです。
栃尾:
そんなに少人数でいいんですね。
中井:
そうなんですよ。実は、子どもが家庭でどのように宿題をしているかも把握できていなかったので、子どものいるご家庭に動画を撮影してもらい、20~30本ほど搔き集めました。
栃尾:
何かわかったことはありますか。
中井:
そうですね。実は、鉛筆を使って書いているより、机の上に置いている時間が長かったり、アタッチメントを笛のように吹いていたりといったシーンがとても多かったんです……。
栃尾:
親御さんがイライラするパターンですね……。
本当のインサイトは別だった
栃尾:
グループインタビューやアンケートなどもしていったのですか?
中井:
実際に来ていただいて、ヒアリングしていきました。そうすると、何もガミガミ怒りたいわけではなく、「本当は、子どもの学びに対して深くかかわりたい」という親側のインサイトが見えてきたんです。
栃尾:
確かに、自分も母親なので腑に落ちます。
中井:
見守りペンは、子どもと離れているときのための製品だったので、真逆だったんですよね。一緒に過ごしているときに、コミュニケーションの密度を濃くしたいという思いがあったんです。
栃尾:
「密度を濃くしたい」は刺さりますね! 親御さんは毎日子供とふれあう時間が足りないと思うので……。それがわかったときに、「見えてきた!」という感覚がありましたか?
中井:
「芯をとらえた!」と思いました。親御さんが困っているウォンツを起点とすることで、子どもが幸せになる姿が具体的に想像できるようになりました。
栃尾:
それまでのコンセプトよりも具体的にイメージしやすいですね。
中井:
社内でも共感が得られるようになりましたね。協力したいと言ってくれる人が増え、うまくいくという実感が高まっていきました。それに伴い、プロジェクトが大きくなっていったんです。
同社で初めて「開発着手」というプレスリリース
中井:
身の回りの人にコンセプトや目指したい方向を話してみるととても共感してもらえたので、これは社外の人にも投げかけてみたいと思い、「開発を着手しました」という異例のプレスリリースを出しました。
栃尾:
「発売します」ではなく、「これから開発します」ということですね。すごい。
中井:
コクヨとしては初めての試みです。
栃尾:
他社に真似されるリスクはないのですか。
中井:
ストーリー作りやコクヨがやる意味や意義をしっかり設計していたので、ただ単に「センサー付きのペン」が真似されても問題ないという自信がありました。もちろん、特許申請は進めていたので、最低限の防御はしていました(笑)
栃尾:
反響はいかがでしたか。
中井:
とてもよかったです。その後スタートするクラウドファンディングの内容も載せていたので、とてもいい影響があったと思います。開発着手のプレスリリースの話はテレビ東京さんのワールドビジネスサテライトの番組内でも取り上げていただけました。
「幸せな顧客は誰か?」という問いから、新たなコンセプトが走り出し、光が見えてきたという中井さん。ユーザーテストなどを進めていきながら、顧客のインサイトが着々とわかってきた。次回は、クラウドファンディング成功の経緯や、ユーザーを巻き込んだ開発について伺っていく。
中井信彦
コクヨ株式会社 事業開発センター ネットソリューション事業部 ネットステーショナリーグループ グループリーダー1999年、関西学院大学大学院 理学研究科修了。同年、シャープ株式会社入社。液晶関連の研究開発、商品企画に従事したのち、手書きデジタル機器のプロジェクトマネージメントを経験。2013年、コクヨ株式会社へ入社。新規事業開発に従事し、UXデザイン(ユーザー体験設計)を通して、デジタルとアナログの融合価値を追求している。
栃尾江美
ストーリーと描写で想いを届ける「ストーリーエディター」。ライターとして雑誌やWeb、書籍、広告等で執筆。数年前より並行してポッドキャスターも