懐かしいコンテンツをデジタルで復活
第1回 超ロングセラー『空想科学読本』ができるまで
1996年にシリーズがスタートした『空想科学読本』。親しみのあるアニメなどを科学で検証するというコンセプトで、「人間はかめはめ波を出せるのか?」といった疑問に科学を使って面白おかしくエンタメ化してきた。ここ数年、デジタルに果敢にチャレンジする「空想科学研究所」は、YouTubeチャンネルの登録者数が伸びているという。所長である近藤隆史さんにインタビューする第1回目は、『空想科学読本』の人気の経緯を伺った。 学校図書として人気になった『空想科学読本』 栃尾:『空想科学読本』はロングセラーの人気コンテンツですよね。アニメなどの超常現象を科学的に面白おかしく検証するというのは、すごい「発明」だと思います。どのようにスタートして、人気になっていったのですか。 近藤:著者の柳田理科雄とは中学時代の同級生で、社会人になってからもときどき飲んだりしていた仲。その彼が経営する学習塾が潰れそうで困っているという話を聞きました。1995年のことです。僕は当時、宝島社という出版社にいたので、彼の役に立てればと思って『空想科学読本』の企画を考え、柳田に「本を書いてみないか」と提案しました。翌年に本が出ると、「本の雑誌」の年間BEST10の1位に選ばれるなど話題になり、60万部くらい売れたんです。次の年に出した『2』も40万部と、ちょっとしたブームになりました。今は子ども向けの『ジュニア空想科学読本』を作っているので、区別するために、これら最初の『空想科学読本』シリーズのことを内々では『親本』と呼んでいます。 栃尾:2冊で100万部。すごい部数ですね。 近藤:ただ、この2冊で「特撮番組などの科学的に気になる題材」はすべて扱ったつもりで、長く続ける気持ちはありませんでした。そのタイミングで僕がメディアファクトリーという出版社に転職したこともあり、題材をマンガやアニメに広げて『3』以降も出すことにしたのですが、せいぜい1年か2年に1冊。ゆるゆると作っていった感じです。 栃尾:私は残念ながら世代ではないのですが、若い人たちに聞くとすごく認知されているし、学校で読んだという人も多いですね。 近藤:スローペースで作っていたこともあり、浸透していたのを実感したのは、ずいぶん後のことなんですよ。「学級文庫として教室に置かれていた」「図書館にあった」といった声が聞こえるようになって、発行部数以上に読まれていたんだと思いました。 栃尾:教師が勧めたいのかもしれません。読むと科学が面白くなりますよね。『親本』はいつまで続いたのですか? 近藤:終わったわけでもないのですが、2016年に刊行した『17』が、いまのところ最後です。このときも3万部くらい刷っていたから、まだ利益の出る商品だとは思うのですが、残念ながら本屋さんに棚がない。発売してしばらく、平積みされている時期にはよく売れるものの、その後は本の置かれる場所がないため、一気に返品されてしまいます。出版社にとっては、売り方が難しい商品なんですね。 子ども向けの『ジュニア空想科学読本』が大ヒット 栃尾:今は『ジュニア空想科学読本(以下、ジュニ空)』が人気だと伺っています。こちらはいつ頃スタートしたのですか? 近藤:最初は2013年でした。前年にメディアファクトリーがKADOKAWAに買収されたのですが、それまでKADOKAWAに追いつくのを目標に走ってきた出版社でもあったから、同僚や部下たちの多くが意気消沈してしまった。本当にかわいそうで、書籍部門の責任者だった僕は「相手のいいところだけをうまく使えばいいんだよ!」などと言って、当時KADOKAWAが注力していた「つばさ文庫」レーベルで『空想科学』を出すという企画を立てたんです。 栃尾:同僚や部下を励ますためだったんですね。 近藤:もちろん『親本』の再利用という意味合いもありました。さっきお話したように、本屋さんでの棚展開がどんどん難しくなるという流れだったので、このままだと『親本』シリーズが終わる危機感は抱いていました。でも『ジュニ空』も、最初はそれほど売れませんでしたね。 栃尾:『ジュニ空』は、最初から人気があったわけではないんですか。 近藤:少しずつです。1年後に2冊目を出したけど、これもボチボチ。ところが、制作が中止になった本があって、その穴を埋めるために急遽3冊目を出したところ、パッと売れた。1冊目も2冊目もゆっくり売れて、少しずつ重版……という感じだったのが、3冊目は明らかに初速が上向いたんです。「あっ。小さな火がついた」と思いました。2冊目を出してから4ヵ月しか経っていなくて、速すぎるかなと不安に感じていたんだけど、逆だったんですね。「4ヵ月に1冊でいいんだ」と、そのペースで続けてみようと思いました。 栃尾:結構速いペース……。 近藤:週刊マンガ雑誌のコミックスは4ヵ月に1冊くらいのペースで新刊が出て、読者の子どもはそれに慣れています。だったら、そのペースを真似ようと思いました。そもそも『親本』の「1年に1冊」が遅すぎますよね(笑)。1年空くと、書店の担当者さんも覚えていない。アルバイトさんだったら、入れ替わったりしてしまう。 栃尾:書店員さんが覚えていてくれることが大事なんですね。 近藤:書店の方に「このシリーズは売れる」という認識を持ってもらうのは、とても重要です。年間8万冊もの新刊が出るのに、1年や2年に一冊しか出さずに「このシリーズのことを覚えておいて」というのはムシがよすぎますよね。それと『ジュニ空』を始めてから実感しているのは、児童書と一般書の売れ方の違いです。児童書は、お財布を握っている親の価値観に左右されることもあって、「子どもにとって安全」「子どものためになる」「子どもが面白がって読んでくれる」といった信頼を得られると、長く売れ続ける。レーベルの棚があるから本屋さんも繰り返し注文を出してくれるし、出版社は年間を通してフェアが組みやすい。『親本』が数ヵ月の短期決戦だったのと比べると、かなり違います。 出版社から独立し、空想科学研究所の専任に 栃尾:会社として空想科学研究所ができたのはどういった経緯なのですか? 近藤:空想科学研究所は、メディアファクトリーに在籍していたときに、会社にも出資してもらって立ち上げました。著者の柳田理科雄がラジオやテレビに出たり、他の企業や出版社とコラボしたりするのに、専用の会社があったほうが都合よかったんです。僕は、社員としてメディアファクトリーの本を作りながら、空想科学研究所の立場では他の出版社から出す本にも関わっていました。 栃尾:その後、出版社を辞めて空想科学研究所の専任になるんですね。 近藤:KADOKAWAに買収されて数年経ち、会社が完全に一体化することになったとき、「自分がいちばんやりたいことは何だろう?」と考えたんです。それまで、新しいヒットを探って、次から次に本を作ってきて、変な言い方だけど、まるで深い井戸に石を投げ込んでいるような感覚……手応えのない感じが年々強くなってきていました。それが本当に気持ち悪くて。僕が感じていたのは、要は「作るだけ」でなく「どうやって届けるか」という問題で、それは『空想科学読本』でもまだ全然やれていないと思いました。『親本』も『ジュニ空』もそれなりに支持されたけど、でも本屋さんに行って本を買う人にしか届けられていないわけです。紙にこだわる必要はないから、デジタル展開でもイベントでも、空想科学というコンテンツを届けることを真剣に考えてみたいと思いました。 栃尾:独立できるなんて、本当に強いコンテンツですよね。どんなところに人気の秘訣があると思いますか? 近藤:まずはシンプルに、子どもがマンガやアニメについて感じる素朴な疑問が書かれていることじゃないでしょうか。それに、マンガやアニメやゲームの世界を、いい大人である著者が面白がって大真面目に検証している。そのギャップというか、子どもが「大人のくせに」と思うような違和感のなかに、難しいものと思っていた数学や科学が急に身近になってくる、という面白さもあると思います。 栃尾:確かに、大人が本気で面白がっていると、子どもも夢中になれる気がします。 近藤:著者は、上の立場から教えてくれる「偉い先生」ではなくて、楽しそうにアレコレ考えている「変なおじさん」であるべきだと思っています。そういう人に刺激されると、子どもは無理なく理科に興味を持つようになる。実際、子どもの頃に『親本』を読んだことをきっかけに、科学の道に進んだ人も結構いるんですよ。イベントなどを通じて参加者から「あの本がキッカケでした」と言われることがとても多くなり、編集者冥利に尽きると感じています。 企画や内容が面白いのはもちろんだが、書店員が忘れないうちに新作を出し、子どもの親からのいかに信頼を得ることができるかが売れ続けるコツ。次回は、出版社から独立後にデジタルへ展開したさまざまなチャレンジについて伺っていく。 Facebook-f Twitter 近藤隆史有限会社空想科学研究所 所長1996年、柳田理科雄に『空想科学読本』の企画を持ちかけたところ、予想外のヒットに。1999年、出版社にも協力を仰ぎ、有限会社空想科学研究所を設立。これを機に、コミカライズや法律版、歴史版、英語版など、さまざまな空想科学シリーズを展開、2013年には『ジュニア空想科学読本』の刊行を開始する。15年、在籍していたKADOKAWAを退職、空想科学研究所を株式会社とし、現在は所長として業務に専念。 栃尾江美ストーリーと描写で想いを届ける「ストーリーエディター」。ライターとして雑誌やWeb、書籍、広告等で執筆。数年前より並行してポッドキャスターも